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全国交流集会(福岡)に参加して

 報告が大変遅くなってすみません。10月12日~13日の2日間、福岡市で開催された「障害児を普通学校へ・全国連絡会 第16回全国交流集会in FUKUOKA」に参加してきました。

 

 一日目の全体会では開会あいさつで全国連絡会代表の徳田さんから「子どもと子どもを分けない、ということを頭において2日間取り組んでほしい」というお話があり、集会に初めて参加する私としては身がひきしまる思いでした。

 その後、全国連絡会世話人で弁護士である大谷恭子さんから「差別解消法」についての講演があり、子どもの学び館代表の福永宅司さんによる一人芝居「もも子」があり、全体会は終了しました。

 分科会は、第一分科会(就学前)「障害児が学校に入るまで、入るとき」、第二分科会(小・中学校)「学校とどうつきあっていくか」、第三分科会(高校・大学)「高校・大学へ行きたい」、第四分科会(卒後の就労・暮らし)「地域で生きる」、第五分科会(制度・政策)「原則統合をめざして」

の5つでした。その中で私は第二分科会に参加しました。

 第二分科会は3本のレポート発表で地元福岡の中学校の普通学級の先生、熊本県の保護者、と私でした。1日目はレポート発表だけで終了しました。

 

 二日目は同じ分科会で意見交換で、「親のつきそい」について多くの意見が出ました。各地での取り組みや考え方に違いがあり全国集会だからこそ情報交換ができるのだなと感じました。

 子どもが将来社会でどう生きていくか、どう自立していくか、を考えたとき付き添いは必要ないのではないか。その2つの目的のために今、学校でどうしていくのか、学校にどう伝えていくのかを私たちは考えていかなければならないのです。全国の実践を参考に、今自分の地域でやっていくことは何なのかを学ぶことが必要だと思いました。

 また話のなかで、では親が付き添わないということで支援員が増えればいいのかという考えも出てくるが果たしてそれでいいのだろうか?という意見もでました。大人が入ることで子ども同士がつながらないという問題が生まれるかもしれません。障がいのある子にとっては、常に誰かがいるということが当たり前だと感じることで将来ヘルパーさんがいなければ行動できないなどの大人の障がいにつながるのではないか。またまわりの子どもたちにとっても、障がいのある人には誰かがつくのが当たり前だと感じてしまうことも心配です。

 地域の学校にいるということは、まわりにどれだけかかわれる友だちを作っていくことが大切で、大人はその邪魔をしてはいけないということを常に考えていかなければならないのだということを強く感じました。

 

 2日間の集会は私にとってとても勉強になりました。来年は札幌で「障害児の高校進学を実現する全国交流集会in北海道」が開催されます。

その実行委員会に携わっている私としては今回の集会の舞台裏も気になるところで、その部分もしっかり見てくることができました。

 来年の集会、みなさんもぜひ参加してくださいね!

 

                                        青野

 

 

 

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2つの集会

寒くなってきましたね。

先週、福岡で開催された「障害児を普通学校へ・全国連絡会 第16階全国交流集会inFUKUOKA」に参加せてきました。

来年は北海道で開催(高校集会)されます。その準備に携わっている私としては、この福岡の集会で身が引き締まる思いでした

全国交流集会の報告はまたあらためて・・

 

昨日は「障がいをもつ子どもの親の聞きあう時間」主催の集会「わたしたちには、障がいのある子どもがいますーとても大切な命ですー」に参加してきました。今朝のNHKのニュースで流れたのでご覧になったかたもいるかもしれません。

障がいのある子の親4人の話と、今回は障がい当事者である山内未佳さんが講演して下さいました。未佳さんのお話しはやさしくてあったかで・・そして未佳さんの前に座っていたお母との間にとってもいい空気が流れていたようでした。いい集会でした。

                                  (青野 比奈子)

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新出生前診断

ご覧になったかたもいらっしゃると思いますが昨日の北海道新聞生活面のいずみへの投稿です。

新出生前診断については4月に検査が開始されたとき、新聞やテレビで報道されていました。その後何度か新聞には記事になっていましたが4月にくらべるとかなり小さいものでした。

この問題は検査が開始されたからそれで終わりではなく、みんなが常に関心をもっていてもらいたい問題だと私は思っています。

なので今この時期にあえて投稿してみました。

 

「新出生前診断」

 4月から始まった新出生前診断。開始3ヶ月で約1500人が受診し、陽性の29人のうち2人が中絶を選んだというニュースが報道され、3月まで息子が仲良しだったIくんのことを思い出した。

 ダウン症の息子は地域の小学校の普通学級に6年間通いこの春卒業した。小学校ではすてきな友だちに恵まれ、Iくんもそのひとりだった。そのIくんがある日、テレビで出生前診断のニュースを見ていて怒って泣いていたと、後日Iくんのお母さんから聞いた。息子のことを思い出してのことだといい、Iくんの優しさに感動した出来事だった。

 新出生前診断は、高齢妊娠の増加で検査を希望する人が多いとか、遺伝子カウンセリングが必要だとかいろんなことが言われている。でもIくんにとってそんなことは関係なく、この検査は私の息子、つまりIくんの友だちの生死を左右するかもしれなかったものなのである。

 ダウン症の子を育てるのは大変なこともあるけれど、喜びや感動もいっぱいある。育てて経験してみないと分からないことはたくさんあるのに、それを知らないまま産む前に決めなければならないこの検査に私は反対だ。

 今、Iくんは引っ越して会うことはできないが、ニュースを見てまた息子のことを思い出してくれているだろうか。みんながIくんのような気持ちでいてくれたら、そうすれば検査は必要ない。そんな社会が来ればいいのにと願っている私である。

 

                                   青野 比奈子  

 

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小鳩会の就学の会に参加して

青野です。

今日、小鳩会の就学の会に参加してきました。

現在小学校に通っている子の親4名(特別支援学校1、支援学級3)が学校の様子をお話され、来年子どもが就学を控えている子の親からまだ赤ちゃんの親たちが熱心に先輩お母さんの話を聞いていました。

私はといえばひろむはもう中学生なのでおよびでない・・のですが、毎年開かれるこの会はなぜか普通学級の話がほとんどなく、小鳩会の親たちは普通学級の情報はいらないのだろうか・・・と悩みながらも、やっぱりお知らせしたい!会長さんに無理を言って今回、昨年の夏のつどいで上映したひろむの小学校生活のDVDをみなさんに見てもらいました。

限られた時間だったので上映以外に話をする時間もなく、DVDの感想や普通学級に関する質問が何も聞けなかったのが残念ですが、参加したかたにこのホームページをお知らせしたのでご覧になっていただいていると信じて、私が今日言いいたかったけど言えなかったこと2つを書きます。

 

まず一つ目は、参加されていたかたから、普通学級を希望していたけれど学校とのやりとりでうまくいかなかった。とか最初から学校に、しょうがいがあるのに普通学級なんて・・という態度をとられた、というお話しがありました。

私もそうでした。むしろ最初からうまくいくことなんてめったにないのかもしれません。でも「学校は変わる」それはありえる思います。私たちが行動すること、思いを伝えることで学校は変わってくれる可能性はあるのです。実際、ひろむも6年間で小学校は変わったと思います。最初からあきらめるのはもったいないのではないか・・と思っています。

 

もうひとつは「普通学級で勉強も分からずずっと座っているだけになって子どもがかわいそう」という話もでました。

でもそれは果たして「無駄な時間」なのでしょうか?私はそうは思いません。同じ教室で同じ空気を吸っているからこそ生まれる仲間とのつながりを感じるからです。それは目に見えるものではないので一見とてもわかりにくく理解されるのも難しいかもしれません。

でもその「空気を共有する」ことがのちの子どもたちにとって大切なものになるのではないかと思います。

このことについては「ワニなつノート」の佐藤陽一さんも書かれています。

 

「誰のものとも考えられずに共有されている」豊かさ

                            佐藤 陽一

 「分からない授業はかわいそう」等という言葉に対して「授業という生活」という言葉で表したかった中身がここにあります。授業という生活のなかでの「考えや声や空気」は三十数人の間に共有されていくのです。日々の生活のなかで「誰のものとも考えられずに共有されている」ものがどれほど豊かな種であることか。

 例えば人はどんなに年をとっても子どものころの同級生の存在は子どものころのままにあります。子どものころのクラス会が50年も60年も続くのはそのときそこにいた仲間の間だけに「共有」された物語があるかあらだと思います。

 「共有される物語」から子どもを取り出してはいけません。子どもの時間に共有された豊かな種が、大人になってからの生きるを支えることもあるのですから。

        (ワニのなつやすみ №98より)