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新出生前診断 続き


茨城県教育委員の長谷川智恵子氏の発言に対しては乙武洋匡さんがコメントを出したり、DPI日本会議が茨城県知事と茨城県教育委委員長に対して抗議声明を出しています。

 

私がこのニュースを知ってまず感じたことは「長谷川委員の身近に障害のある人はいなかったのだろうか」ということでした。障害のある人は特別な存在と考えているこの発言、もし長谷川委員の子どもや孫、友人に障害があったらきっとこんな風には思わないことでしょう。

 

私は新出生診断といえばひろむの小学校時代の友だちのIくんのことを思い出します。Iくんのことはあちこちで話したり、北海道新聞のいずみにも掲載されたのでご存じのかたも多いと思います。

 

Iくんはひろむと6年間同じクラスになることはなかったのですが、仲良しでよく一緒に遊んでいました。そのIくんがある日テレビで新出生前診断のニュースを見ていて怒って泣いていたと後日Iくんのお母さんから聞きました。ひろむのことを思い出してのことだといい、Iくんの優しさに感動したのを覚えています。

新出生前診断については、高齢妊娠の増加で検査を希望する人が多いとか、遺伝カウンセリングが必要だとかいろいろなことが言われています。でもIくんにとってはそんなことは関係なく、この検査は私の息子、つまりIくんの友だちの生死を左右するかもしれなかったものなのです。

長谷川委員にとって障害児は県のお金のかかる厄介な子どもなのかもしれませんが、Iくんにとってひろむは障害はあっても特別な存在ではなく大切の友だちなのです。Iくんは引っ越してもう会うことはできないのですが、ニュースをみてまたひろむのことを思い出してくれているでしょうか・・

 

障害のある子は就学のとき、みんなと同じ普通学級ではなく特別支援学校や特別支援学級に分けられます。

またその前は、障害を見つけると早期療育ということで障害のないこどもたちとは別の場で訓練や療育をするため分けられます。

さらにそのもっと前は、検査で障害があると判明したら、産むか産まないかまたまた分けられます。

私たちが目指す分けない社会はすでに新出生前診断から始まっているのではないでしょうか。

 

障害があっても分けられず、差別されず、みんなと一緒。そんな優しい社会が実現することで新出生前診断なんて受けなくてもいいと思える人が少しでも増えてくれたら言いなあと思っています。

 

青野 比奈子