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合唱コンクール

10月末にひろむの中学校の合唱コンクールがありました。本番までの一か月間、生徒たちはそれはそれは熱心に練習していました。いつもは遅刻ギリギリのひろむも朝練習のために早起きし、放課後もみんなと一緒に暗くなるまで練習に参加していました。

練習の期間、ひろむにどんな歌なの?と聞いても「別に~」と言って教えてくれなかったのですが、合唱コンクール本番では大きな口を開けて歌っていました。みんなの歌声からちょっとはずれたひろむの声がしっかり聞こえて、ちゃんと覚えていたんだと感動しました。

ひろむの学校の合唱コンクールは学年ごとに金賞と銀賞があります。今回、残念ながらひろむの1組は賞には選ばれませんでした。

でも後日配られた学級だよりで生徒たちの思いを知りまた私は感動しました。合唱コンクールを振り返ってのみんなのアンケートではお互いを称える言葉や感謝の言葉ばかりでした。「今回学級に大きく貢献していた人や頑張っていた人を挙げてください」の回答は、クラス全員とか、プロジェクトメンバー、指揮者や伴奏者の名前が挙がっていたようですが、「Nくんや青野君の名前も挙がっていました」というコメントが書かれていました。ちゃんと見ていてくれる友だちがいて嬉しいです。

賞は取れなかったけど全力で頑張った1組。クラスの誰もがありがとうと言い合っているのは本当に素敵だなと思いました。

 

ところで、ひろむの学校には特別支援学級があります。そして合唱コンクールでは毎年「特別賞」なんです。もちろん今回も。なんだかおかしいなと思うのは私だけでしょうか?特別支援学級はいろいろな学年の生徒がいるのでただ「7組」という名称で、だからそれぞれの学年の金賞、銀賞の枠には入れないのかもしれませんが、毎年お決まりのような特別賞はどういう意味があるのでしょう。

7組の生徒たちはどんなにがんばっても特別賞。それ以上でもそれ以下でもないのです。ひろむの3年1組は誰もが金賞が欲しかったはずです。でも7組の彼らは金賞を目指すことは最初からできないのだと決められていることが私は悲しく思うのです。

 

青野 比奈子

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新出生前診断 続き

茨城県教育委員の長谷川智恵子氏の発言に対しては乙武洋匡さんがコメントを出したり、DPI日本会議が茨城県知事と茨城県教育委委員長に対して抗議声明を出しています。

 

私がこのニュースを知ってまず感じたことは「長谷川委員の身近に障害のある人はいなかったのだろうか」ということでした。障害のある人は特別な存在と考えているこの発言、もし長谷川委員の子どもや孫、友人に障害があったらきっとこんな風には思わないことでしょう。

 

私は新出生診断といえばひろむの小学校時代の友だちのIくんのことを思い出します。Iくんのことはあちこちで話したり、北海道新聞のいずみにも掲載されたのでご存じのかたも多いと思います。

 

Iくんはひろむと6年間同じクラスになることはなかったのですが、仲良しでよく一緒に遊んでいました。そのIくんがある日テレビで新出生前診断のニュースを見ていて怒って泣いていたと後日Iくんのお母さんから聞きました。ひろむのことを思い出してのことだといい、Iくんの優しさに感動したのを覚えています。

新出生前診断については、高齢妊娠の増加で検査を希望する人が多いとか、遺伝カウンセリングが必要だとかいろいろなことが言われています。でもIくんにとってはそんなことは関係なく、この検査は私の息子、つまりIくんの友だちの生死を左右するかもしれなかったものなのです。

長谷川委員にとって障害児は県のお金のかかる厄介な子どもなのかもしれませんが、Iくんにとってひろむは障害はあっても特別な存在ではなく大切の友だちなのです。Iくんは引っ越してもう会うことはできないのですが、ニュースをみてまたひろむのことを思い出してくれているでしょうか・・

 

障害のある子は就学のとき、みんなと同じ普通学級ではなく特別支援学校や特別支援学級に分けられます。

またその前は、障害を見つけると早期療育ということで障害のないこどもたちとは別の場で訓練や療育をするため分けられます。

さらにそのもっと前は、検査で障害があると判明したら、産むか産まないかまたまた分けられます。

私たちが目指す分けない社会はすでに新出生前診断から始まっているのではないでしょうか。

 

障害があっても分けられず、差別されず、みんなと一緒。そんな優しい社会が実現することで新出生前診断なんて受けなくてもいいと思える人が少しでも増えてくれたら言いなあと思っています。

 

青野 比奈子

 

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新出生前診断について

私は月に一度、むくどりホームで「私の子どもたチャレンジド」という会を開いています。(むくどりホームのHPはこのHPからリンクできます)11月21日のテーマは新出生前診断でした。偶然その直前に茨城県教育委員、長谷川智恵子氏の問題発言があり、あらためてこの検査について考えさせられました。

 

 

新出生前診断について

 

  • 新出生前診断とは

妊婦の血液に含まれるDNA断片を解析し、胎児の3種類の染色体異常を高い精度で調べる検査。21番染色体に異常があるダウン症、心臓疾患などを伴う13番と18番の染色体異常を判定する。陰性の的中率は99%と高いが、陽性と判定された場合、例えばダウン症である確率は35歳で80%、40歳で94%などと幅があり、確定診断には羊水検査などが必要。健康保険の対象外で費用は約21万円。妊婦は35歳以上であることが条件。

 

  • 実施状況

2013年4月から日本医学会が認定する医療機関で開始。道内では北大病院、札幌医科大学病院が実施。2014年8月から旭川医大でも実施。

 

スタートから1年間で7440人が検査を受け、陽性が142人、そのうち126人が羊水検査を受け、113人に染色体異常が判明、110人が中絶を選択した。

道内では287人が検査を受け、そのうち陽性は3人、羊水検査で1人は異常なし。異常反応のあった2人のうち2人が中絶を選択した。

 

さらに岡山大のグループによるアンケートでは(妊婦557人回答)

「新出生前診断で陽性と判定された場合」

羊水検査を受ける             74,0%

羊水検査を受けずに妊娠を続ける      20,3%

羊水検査を受けずに妊娠をあきらめる     5,7%

(その理由「すこしでも異常の可能性がある」「週数がすすんでからで胎児がかわ

いそう」など)

 

  • さらに・・・

「新出生前診断に新手法(2013、4~)」

・妊婦の採血と超音波検査を組み合わせたもの

・妊婦の年齢は問わない

・費用は2万5千円だが、検出率はダウン症で83%

 

「中国企業が新出生前診断」

・新出生前診断は日本医学会が認定した病院のみで行わなければならない

・中国企業は認定施設外で行っている可能性も。

 

4、「着床前スクリーニング(受精卵検査)」

日本産科婦人科学会は、体外受精した受精卵の染色体異常を調べ、正常な受精卵を選んで出産を試みる「着床前スクリーニング(受精卵検査)」の臨床研究を正式に承認。国内の限られた医療機関で2015年度にも始められる。

選ばれずに破棄の対象になる染色体異常はダウン症やターナー症候群も含まれる。

 

  • 世間では

新出生前診断について

受け入れられる            44,2%

どちらかといえば受け入れられる    35,1%

どちらかといえば受け入れられない   11,7%

受け入れられない            4,2%

 

容認の理由 ・出産の準備に役立つ

・赤ちゃんの状態を知ったほうがいい

・中絶手術もあり得る

 

拒否の理由 ・生命の選別になる

・結果を知っても悩む

 

*障害のある子が生まれることに対して心構えができるということで始まった新出生前診断だが、実際にスタートしてみるとそのほとんどが中絶をしている。命の選別につながっていることは誰の目から見ても明らかではないか。

 

*命の選択が一般化していく傾向。障害のある子を産み育充てにくい世の中に。なぜ検査を受けなかったのか?自己責任。勝手に産んだのが悪い・・障害児を育てる親の不安。

 

  • 函館の裁判

 

概要

「新出生前診断:誤報告した函館の委員に1000蔓延賠償命令」

 

北海道函館市の産婦人科医院「えんどう桔梗マタニティクリニック」で2011年、胎児の出生前診断結果を誤って伝えられた両親が、人工中絶の選択権を奪われたなどとして、医院側に1000万円の損害賠償を求めた訴訟で、函館地裁は5日、1000万円の支払いを命じた。

 

鈴木尚久裁判長は判決理由で「結果を正確に告知していれば、中絶を選択するか、中絶しないことを選択した場合には心の準備や療育環境の準備もできたはず。誤報告により機会を奪われた」と指摘した。

 

判決によると、母親は胎児の染色体異常を調べる羊水検査を受け、ダウン症であることを示す結果が出た。しかし医院の院長は11年5月、母親に「陰性」と誤って伝え、生まれた男児はダウン症と診断され三か月後に合併症で死亡した。

 

両親側は誤報告により生まれたことで、男児は結果的に死亡したと主張していたが、鈴木裁判長は「ダウン症児として生まれた者のうち合併症を併発して早期に死亡する者はごく一部」として因果関係は認めなかった。

 

判決を受け両親は「ミスの重大性や、生まれた子どもの命を否定しなければいけなかった親の心情を深くくみ取ってくれた。この裁判がきっかけとなり、患者や家族に寄り添う医療につながっていくことを願っている」とのコメントを出した。

 

遺伝情報の扱いに詳しい桜井晃洋・札幌医科大教授(遺伝医学)の話

 

出生前診断を含めた遺伝子検査では、患者がなぜ検査をうけるのか、結果をどう受け止めるのかまで考慮した、専門家の目を通して情報が伝えられるべきだ。今回の例は羊水検査の結果を単純に見誤って伝えたものだが、技術の進歩に伴って、検査結果があいまいな形で出るものも増えている。慎重さが求められるという意味で、判決は医療従事者への警鐘になる。

(以上 2014、6,6 毎日新聞 より)

 

 

「遠藤医師による説明ミスのせいで妊娠を続けるか否かを選択する機会、また継続した場合に生まれてくる子どもに対しての心の準備や療育の準備をする機会を失った」というのが判決文による慰謝料を認めた理由

 

親の言葉「もし告知ミスがなければあの子は産まれてこなかったかもしれない」 →検査の結果次第では中絶も視野に入っていたということか・・

 

しかし胎児の病気による中絶は母体保護法で認められていないはず

医師「中絶の権利は認められていないのだからその機会が奪われたと主張するのはおかしい」

 

親「私たちだけ法律を厳格にするのか?他の患者さんはどうしているのか。判決は母体保護法に矛盾しているのか?」

 

もし判決が確定すれば病気や障害が分かっていれば産みたくなかったという訴訟が一般的になるのでは

 

今回、もう一つの訴え「生まれたことによって赤ちゃん自信が被った苦痛」は認められなかった  →生まれてこなかった方が良いという考え?

 

苦しみぬいて亡くなった息子本人に先生から謝罪してほしいという両親の考えは分からないわけではないが、この訴訟によって

「ダウン症に対する偏見が進まないか」

「病気や障害を理由に中絶が認められたことになる」

「新出生前診断をためらっていた人や陽性反応が出たら中絶をためらっていた人が堂々とできる」

・・・私はそんなことが心配です・・・

 

  • 茨城県の問題発言

茨城県教育委員の長谷川智恵子氏が県総合教育会議の席上で話したことが問題になっている。特別支援学校を視察した経験を話すなかで「多くの障害のある子どもたちがいて驚いた。妊娠初期に障害の有無が分かるようにならないのでしょうか。4ヶ月をすぎるとおろせないですから。うまれてきてからでは本当に大変です。」「茨城県では減らしていける方向になったらいい。」などと発言した。

またその発言について、茨城県の橋本知事は「障害の有無が事前に分かり中絶したい人が中絶できる機会をふやしたらどうかという意味だと思う。悪いことではない。」

 

その後両氏とも発言を撤回、謝罪した。

 

2015.11.21

私の子どもはチャレンジド資料

青野 比奈子

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全国交流集会に参加して

すこし前のことになりますが、10月3~4日に横浜で開催された「第17回全国交流集会in神奈川」に参加してきました。

5つの分科会はどれもとても興味があったのですが、私は1日目は第3分科会「地域の学びを高校へ」に参加することにしました。2本のレポート発表のあと、高校の問題について討議が行われましたがそこでまずテーマとなったのは「定員内不合格」の問題でした。公立高校で定員割れをしている学校を受験しても障害を理由に不合格にされてしまうという現実があり浪人を余儀なくされている子どもたちもいます。定員内不合格について、その合格不合格の権限は高校の校長先生にあるので難しいのではないか。ただ教育委員会が本気になってそれを指導すれば変わってくるのではないか。高校の適格者主義にとらわれていることがそもそもの原因なのではないか。そんな意見が出されました。ただ、定員内不合格はすべての地域で行われているわけではなく、定員内不合格は出さない地域もあります。北海道もその地域のひとつです。子どもにとって高校に行きたいという気持ちは同じなのに住む地域でそれが左右されることはおかしなことです。

他の地域で出来て自分の地域でなぜそれができないのでしょう・・定員内不合格の問題に限らずそのような壁に突き当たることはよくあります。だからこそこのような集会で多くの人が顔を突き合わせて話し合うことが大切なのだと感じました。

 

2日目は第1分科会「出生前から就学まで」に参加しました。前日までの意見として「療育に行っていると地域の学校に行く力がわかない」ということがあげられていました。私の経験からも息子に障害あると分かったときから療育が始まり教えられるがままに通園をしていました。そしてそこからは特別支援学校に就学する子がほとんどでした。私はたまたま友人に誘われて参加した会で普通学級という選択を知りましたが、もしあのとき友人に誘われなかったら、仲間に出会わなかったら進む道は違っていたのかもしれません。周りに流されるままで、地域の学校という選択に気付かなかったもしれません。そう考えると、就学前の人とどう出会うか・・ということはとても大切な問題です。

 

私は、子どもの就学に関して保護者から「普通学級の何がいいのか?」ということを聞かれることがあります。普通学級の良さ・・友だちとの関わり、その子がいることで周りの子どもたちが変わること・・などなど挙げたらきりがありません。でも私はそのようなことを伝える反面、「いいことがあるから普通学級に行くのか?よくないことが多ければいかないほうがいいのか?」という気持ちが沸き上がります。

本当はいいことがあるから普通学級を選択するのではなく、障害があることで分けられること自体が差別なんだということ。普通学級にいってもその子がかわいそう、ついていけないなどということは人権が見下されていることなんだということも伝えたいのですが、人権が、条約がと言って理解してもらえるのだろうかという不安がありそこでシャットアウトされたくないという思いが私の中にあるのです。というのも私自身、息子が就学したときにはそこまで考えずそのようなことはあとでついてきたような気がするからです。

就学前はまだ「自分の子どもを何とかしないと・・」と考える時期で、さらに療育に通っているとそこに関わる専門家と言われる人たちからも同じようなことを言われます。そこで本人よりも周りが変わることが大事といって分かってもらえるだろうか・・と考えてしまいます。自立イコール個別の訓練ではなく、人と関わり合うことによって自立できると言っても果たして何パーセント伝わっているのか?また、一度普通学級は無理だと諦めた人に対してまだ伝える手段はないのか。またいつでも相談して下さいと言うほかに何か自分にできることはないのか。そして就学前の人たちにこちらから伝える手段はないのか。そんな悩みをこの分科会で投げかけることができました。

話し合いの中で、確かに就学前の人に出会うことはとても大切なことなのにそれがなかなか実現されず、また出会えたとしても私たちの思いを理解してもらうことは難しいという意見がでました。私も経験がありますが同じ療育に通う親たちの関係性には独特のものがある場合もあります。「療育ママ友」などという言葉もあげられていましたが、その中で普通学級という思いがあっても周りに言い出せない人もいるのではないかという意見に共感する人も多くいました。就学前の親たちと出会うこと、私たちの思いを伝える機会を広げることは全国連絡会としても悩んでいるということがあげられました。特にこれといって解決策が見つかるわけではありません。行政と手を取り合うことは理想ですがなかなか難しいことです。しかし、最後にある保護者のかたが、私たちが日々実践していること、つまり自分たちの子どもが地域で生きる様子を見せていくことなのではないかとおっしゃっていました。一度にたくさんの人に伝えられるわけではないけれどやはりコツコツとやっていくしかないのではないかと。

いいこともそうでないことも含め障害のある子どもが地域で生きるということありのままで伝えていくこと・・それはとてもシンプルなことですが、今の私にとって最も大切なことであって、そのためにはまだまだやらなければならないことはたくさんあると実感することができました。伝える機会がない、理解してもらうためにどうしたらいいのかと悩む前に、まず今自分のできることを見つけてやっていこう・・そんな勇気をもらったような気がしました。

 

2日間の全国交流集会は私にとってまた学ぶことの多い集会になりました。今回息子も初めて一緒に参加し、多くのかたにお世話になりました。来年は大阪。吉本新喜劇の大好きな息子は来年も行く気満々・・みなさんまたどうぞよろしくお願いします。

 

青野 比奈子