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全国教研に参加して


2月3日~5日、新潟市で開催された教育研究全国集会の「インクルーシブ教育」の分科会に傍聴として参加してきました。全国の小中高の先生28名のレポートは、普通学級、特別支援学級、特別支援学校など様々な立場からの実践報告でした。

 

その中で特別支援学級と交流学級(普通学級)についてのレポートがいくつかありました。障害のある子が交流学級でうまくいかなかったけれど、特別支援学級の中で個別に支援をすることで自己肯定感を育むことができ、困難を克服することができた。そしてまわりの子どもたちもその子の成長を喜び理解も深まった。という内容でした。特別支援学級は子どもを輝かせるために支援する場所、交流学級はその子が輝く場を提供する場所である、という先生の考えも述べられていました。

 

しかし、果たしてそうでしょうか?

 

障害のある子を分けて支援してそこで困難を乗り越えてその結果を見せること・・周りの子どもたちにとってはその結果の部分しか見ることしかできません。私は結果よりプロセスを見せることが大事だと思います。

例えば、言葉が上手く伝わらない、という状況だったとします。分けた場での支援はその子に合った教材を使い語彙を増やすこと、などその子を何とかしようということに限られます。でも分けない場では周りの子どもたちがどうしたらいいのか考えることができます。子どもたちはその子に一生懸命言葉を教えるかもしれない、あるいはその子の言葉が分かるように自分たちが変わればいいと考えるかもしれない、また、言葉以外でコミュニケーションを取る方法に知恵をしぼるかもしれない・・たくさんの人が関わることでその答にはバリエーションがありますし、さらに子どもたちは大人が考えつかないような発想もします。(それは私の息子の経験からも感じたことです。)

子どもたちは今後も障害のある人と出会うことがあると思います。

そんなとき、障害のある人は専門的なところに行けばいい、専門家にまかせておけばいいと思う人に育てるか、自然に手を差し伸べられる人に育てるか、やはりその答は後者だと思うのです。

 

子どもたちが人と出会える場は学校です。そこで自分と他人は違うことを認め合い関わりを学びます。その中にあたりまえに障害のある子もいていいはずです。せっかくのチャンス、そこで分けることはとてももったいないことなのではないでしょうか。

(たぶん続きます・・)

 

青野 比奈子